今年はOFF COURSEレコードデビュー50周年の記念すべき年です。当ブログではそれを記念してOFF COURSEに関する話題を積極的に取り上げてまいります。
今回は、5人のオフコース解散時と4人のオフコース解散時のファンクラブ会員数の増減を比較してみましょう。ファンクラブの会員数がイコール人気度…というワケではありませんが、一つの指標にはなるでしょう。
5人のオフコース解散時の頃の数字は、オフコースファミリー季刊誌「春の音楽会 58年春の号」56ページを、4人のオフコース解散時の頃の数字は、オフコースクラブ会員誌「Off Course book No.21」35ページから引用させていただきました。この場をお借りしまして、関係各位の皆さんにお礼申し上げます。
オフコースファミリーの季刊誌は手書きです。手作り感満載です。
地方別増減比較
東日本と九州が減少…特に関東地方の会員数の減少が目立ちます。
もう少し細かく見ていきましょう。
都道府県別増減ランキング
東京都だけで1,391人減少、率にして4割減少しているのが目立ちます。
逆に会員数が増えた都道府県を見てみると…
増減要因について
付き人が勝手に思いつくまま、根拠のない推測(妄想)をしてみました。
1.その地方のコンサート開催数によるもの。
2.地元イベンターの営業努力によるもの。
3.YASSさんの脱退の影響によるもの。
4.他のアーティストの影響によるもの。
5.ファンの皆さんのご結婚、子育ての時期と重なり、やむなく脱会。
6.若年層のファンの増加。(小中学生のお小遣いでは会費の支払いが困難)
7.1982年から84年の2年間活動休止による影響。
8.交通網の発達により遠方から東京(日本武道館)へ行きやすくなり地方からの参戦者が増加した。その影響で東京在住者のチケット入手が困難になり東京のファンが減少。
9.沖縄地方の増加は、1985年10月8.9日沖縄市民会館公演、1987年9月6日沖縄コンベンションセンター公演、1988年9月8.9日那覇市民会館公演が開催された影響によるもの。
いづれにしても、決定的な原因が不明です。特に東日本と九州の減少の説明がつきません。
皆さんは、どのように思われますか?
これからOFF COURSEに関する研究に精進し、色んな疑問を解き明かしていきたいと考えています。
古参OFF COURSEファンの皆さん!応援、ご協力をよろしくお願いいたします。
1975年10月4日「秋ゆく街でⅡ」中野サンプラザホール公演(出典:オフコースファミリー春の音楽会 58年春の号)
資料編
参考:PRESS会員数 2020年5月25日発行 Vol.355 の時点で…27,899名
楽しく読ませていただいています!
私の場合、オフコースファミリーのときは実家にいまして、オフコースクラブのときには進学〜社会人となり県外に出ておりました。年齢を重ねると住む場所が変わったり生活の変化で抜けてしまう人もいらっしゃったでしょうね。
関東には初期の頃からのファンの方も多かったはずので、鈴木さんがいなくなったのは会員数減に少なからず影響があったと思います。
私もファミリーへの思い入れが強かったので、オフコースクラブへはしばらく登録してなかったです
記事の考察の中で、東京から引っ越した…というのが抜け落ちていました。そうですよね。就職したら、大体、新人で独身者は地方へ行かされますよね。うんうん。
ファミリーからクラブへ何パーセントの方が移られたのか興味がありますね。ま、そういうデータはどこを探しても有りませんが…(~_~;)
ファミリーはファンによるファンのための組織であり、会員誌を読んでもヒシヒシと「OFF COURSE愛」を感じます。「理想、究極のファンクラブ」…と言っても過言ではないでしょう。ファミリーの事務局、スタッフの方々のご苦労は相当なものであったと察します。