Sさんをはじめ読者の皆さんの吉田拓郎さんに対する熱烈な愛情あふれるコメントを拝見し、ひょっとして当ブログは拓郎ファンの「秘密基地」・・・じゃないかと錯覚をしたりします。付き人自身も吉田拓郎のファンだからです。(注:個人的には、あえて呼び捨てにさせていただきます。我々の周りには拓郎に対して「さん」付けする習慣がないので・・・あ、決して軽蔑とか敵対とかではなく、親しみを込めてです。)

日曜日に拓郎と小田さんがスイーツを食べながらお話をする・・・というSさんのオハナシに、昔、拓郎と小田さんはどういう関係だったんだろう?・・・とロロさん曰く小田さんに対して「ニワカ」な付き人は疑問に思いました。・・・で昔の映像から「日本を救え’94in武道館」という小田さんが企画・演出・・・それにナレーションもされたテレビ特番の映像がYouTubeにありましたので皆さんにご紹介いたします。

先ず「日本を救え’94in武道館」とは何やねん?という素朴な疑問に対して「先輩ブログ」でおなじみのSHINさんが2013年5月9日20:00に掲載された「日本をすくえ・スーパーバンドと小田和正」で詳細に書かれていますのでご紹介します。

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日本をすくえ・スーパーバンドと小田和正

小田和正の音楽活動で特筆すべきことの一つに、チャリティライブ「日本をすくえ」がある。

このチャリティライブの母体となったのは泉谷しげるである。
1993年、北海道南西沖地震による奥尻島の惨状を知った泉谷しげるは、「お前ら募金しろ!」をキャッチフレーズに東京ドーム前を皮切りとして全国各地でチャリティゲリラライブを開催する。

そして奥尻島上陸を直前に控えた11月15日、札幌・北海道厚生年金会館でこれまでの集大成のライブとなる「奥尻島チャリティーコンサート メッセージソングの日」を開催した。
このライブに駆けつけた一人が小田和正であった。
泉谷によると、ラジオでこの日のライブを告知する際、何の根拠もなく勢いで「小田和正も呼ぶぞ!」と言ったところ、それを聴いた小田が「泉谷が俺を必要としてるなら参加する」と伝え、出演が実現したという。
ちなみに二人は面識があったものの、その頃は特段の交流があるわけではなかった。
この日、泉谷・小田は、忌野清志郎・桑田佳祐と共に「春夏秋冬」を歌っている。

その札幌のライブで、忌野が「奥尻島ばかりかわいがりやがって。日本にはもっと被災地がある」と発言したことが、新しい展開を生む。
それが1994年 3月13日、長崎市公会堂にて「島原・深江救済チャリティーコンサート メッセージソングの日」という形となる。
この時、小田和正をはじめとする参加アーティスト達の一部で「スーパーバンド」が結成される。
これは吉田拓郎の「俺たちは楽器が出来るのだから、みんなでバンドを組んで、それぞれの持ち歌を演奏しよう」というアイデアに基づくものであった。
スーパーバンドには吉田拓郎(ベース・バンマス)・泉谷しげる・伊勢省三・南こうせつ・忌野清志郎(ギター)・さだまさし(ギター・バイオリン)・大友康平・浜田省吾(ドラム)・小田和正(キーボード)がバンドメンバーとして参加。途中には、井上陽水が登場してスーパーバンドをバックに歌っている。
ちなみにこの時、スーパーバンドでオフコース「Yes-No」を演奏する案があったが、コードが難しくて諸般の事情で実現していない。

この集大成となったのが、1994年 8月16日、日本武道館での「日本をすくえ’94 奥尻島、島原・深江救済コンサート」 である。
企画段階から泉谷・拓郎・小田の三人によって進められるようになったこのライブだが、マスコミへのリークによる混乱(出演予定者の辞退など)で、ライブ自体が流れる寸前まで追い込まれる。
しかし三人の決断により、ライブは開催されることになる。
この時のスーパーバンドには、泉谷しげる・吉田拓郎・小田和正・伊勢正三・大友康平・坂崎幸之助・財津和夫・山本潤子・稲垣潤一・白井貴子・渡辺美里が参加している。
特にギター巧者でベースも弾ける坂崎の参加は、スーパーバンドの演奏力向上に貢献することになる。
また佐藤竹善・平松愛理・加藤いづみ・沢田知可子・石川よしひろ・陣内大蔵が「ヤングバンド」と称して、スーパーバンドの前に演奏を披露している。
このライブの企画立ち上げから当日までの顛末は、小田和正の手によってドキュメンタリー映像化され、テレビ朝日で放映されている。

阪神・淡路大震災直後の1995年8月12日、神戸・メリケンパークで「日本をすくえ’95」が開催されているが、このときは「新しい顔ぶれで臨みたい」という泉谷の考えにより、スーパーバンドは招集されなかった。
(この事で拓郎は若干へそを曲げたという。)

スーパーバンドがみたび登場するのは、1996年 9月14・15日「日本をすくえ’96 阪神・淡路大震災救済支援コンサート 」である。
このライブは泉谷の「神戸に遊びに来い、観光などで地元の経済を潤せ」というアイデアから、神戸ワールド記念ホールで開催された。
このときのスーパーバンドには、泉谷しげる・吉田拓郎・小田和正・山本潤子・伊勢正三・稲垣潤一・大友康平・ 坂崎幸之助・白井貴子・大江千里が参加、ゲストとして浜田省吾・桜井賢・高中正義が登場している。

しかしその後、中核メンバーである泉谷と拓郎が喧嘩したことで、スーパーバンドの活動は停止状態となる。
東日本大震災後の2012年に二人は漸く和解、拓郎のラジオで小田和正に打診する形で、スーパーバンド復活構想が持ち上がっているが、2013年5月現在、具体化には至っていない。

(原文のまま:SHIN様 無断借用をお許しください)

この説明を念頭に以下のYouTubeをご覧いただき、小田さんとその当時の音楽仲間とのかかわり、立ち位置等を把握しましょう。いかにその当時から音楽仲間の間で、小田さんが重要な役割をされていたのかが、皆さんもお解りいただけるかとおもいます。←そんなん、前から知ってるわい!

潤子さんが譜面で小田さんのアタマを叩かれる映像、泉谷しげるが歌う「ラブストーリーは突然に」等面白い場面もお見逃しなく(^.^)

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小田さんが企画を「流そう」と言った後、拓郎が小田さんと内緒話をしたあと、拓郎が「GO」の決断をした・・・これこそが小田さんと拓郎との間柄であると考えます。今度の日曜日にはどんなヒソヒソ話が交わされるのか知る由もありませんが、お二人にとっても思い出に残るひとときであって欲しいと思うのはファンなら誰しも思う事でしょう。あっ!付き人のファンは拓郎ですよっ(^^)v←まだ言うか!?

1985年7月13日ロンドン ウエンブリースタジアムで行われたLIVE AIDみたいな観客の熱気はあまり伝わらない(実際は盛り上がってたんでしょうね)映像でしたが、舞台上の彼ら、彼女らの楽しそうな笑顔は、この企画の成功を物語っているものといえるでしょう。

最後になりましたがYouTubeに登場する方々の中には、鬼籍に入られている方もいらっしゃいます。ご冥福をお祈りいたします。