今回は、1月19日に掲載した「中島みゆきさんと小田さん」でご紹介したjunさんのブログ「転轍される世界-中島みゆきと夜会をめぐって」の特集「小田和正と中島みゆき」の全文をご紹介いたします。
先ず最初に、転載を快諾いただいたjunさんに心より感謝いたします。
ありがとうございます。
junさんのブログは付き人のと同様に長文ですが、落ち着いた文体と表現で、読む者を知らず知らずにjunワールドへ引き込む不思議なブログです。アールグレイの紅茶を飲みながら読む…って雰囲気でしょうか?
この「小田和正と中島みゆき」は単なる両者の比較だけでなく、それぞれの視点から相手を分析するという離れ技もやってのける…。内面の世界を探求…ファンはそのプレイヤーに似るという…あながち間違いではないでしょう。
小田さん曰く「わかりあえる人とつながりたい。」ふとこの言葉を思い出しました。
では、junワールドへ行ってらっしゃいっ!
小田和正と中島みゆき (1)
隣のページには、小田和正の「僕等の時代」 (オフコースの1980年のアルバム「We are」の収録曲) が掲載されていて、この2曲の歌詞が、「歌の詞 (ことば) 」というコーナーの中にくくられている。
国語の教科書はふつう縦書きであり、この教科書ももちろん例外ではないのだが、このコーナーだけは横書きになっている。「詩」ではなく、「 (歌の) 詞」ということのゆえか。
そういえば、中島みゆきがかなり以前、何かのインタビューの中で「詩」と「詞」の違いについて、「テラとツカサ」という表現を使いながら語っていたのが思い出されたりもする。
ところで――国語教材としての中島みゆき云々、といった話をここでしたいのではない。
小田和正と中島みゆき、この――おそらく、あまり並べて語られることのない――二人のアーティストの関係について、この機会に、少々思うところを書いてみたくなったのだ。
風景の透明感
実を言えば、これをきっかけに、不意に久しぶりにオフコースの曲をどうしても聴きたくなり、十数枚のアルバム (リマスタ版のCD) を「大人買い」してしまった。それらを iPod に入れ、いま通勤途上などで聴きかえしているところだ。
私がかつて (若かりし学生時代) 、オフコースの音楽に浸っていたのは、1981~82年頃、中島みゆきのアルバムでいえば「臨月」「寒水魚」がリリースされた頃である。
その頃すでに、私はかなり「コア」な中島みゆきファンになっていたが、その一方で、彼女とは (少なくとも表面上は) まったく異質な音楽性――歌詞も含めて――をもつオフコースにも強く魅かれていた。
その魅力を一言で表現するのは難しいが――あえていえばそれは、「風景の透明感」ということだったように思う。
たとえば、同じく愛を――そしてその喪失の悲しみを――歌っても、中島みゆきがどこまでも求心的に、自らの内面に対して――幾重にも色を塗り重ねていくかのように――その経験の意味を問いなおしていくのに対して、オフコース (小田和正と鈴木康博) はどこまでも遠心的に、愛や悲しみの意味を、都市的風景の透明な広がりの中に――淡い水彩画のように――描き出してゆく。
愛といい悲しみといい、それらは――内的な心象としてではなく――あくまでも透明な風景の中の点景として、洗練されたガラス細工のようなきらめきを放つのだ。
この対称的な二つの力――内面への求心力と風景への遠心力――の両方を、おそらく当時の私は、自らの心のありようにバランスを保つために必要としたのだろう。
時代へのまなざし
対称的――とはいっても、この両者に共通項がないという意味ではもちろんない。
たとえば、冒頭に紹介した教科書にある「僕等の時代」の歌詞を読んでまず印象づけられるのは、時代、時の流れを見据えるまなざし、そしてそれらとともに歩いてゆこうとする意志――とでもいうべきものだ。
もうそれ以上 そこに 立ち止まらないで
僕等の時代が少しずつ今も動いている
あなたの時代が終わったわけでなく
あなたが僕たちと 歩こうとしないだけ
動いてゆく時代を見据え、それとともに歩いてゆこう――こうした視点やスタンスは、教科書の隣にある「誕生」にも共通するものを感じさせないではないし、他にもいくつかの中島みゆき作品が思い浮かぶが、中でも、最も鮮烈にそれが歌われているのは、おそらく「世情」だろう。
シュプレヒコールの波 通り過ぎてゆく
変わらない夢を 流れに求めて
時の流れを止めて 変わらない夢を
見たがる者たちと 戦うため
もちろん、「僕等の時代」と「世情」とでは音楽的な印象はまったく異なるが、その大きな差異を超えて、根底にある視点やスタンスの共通性をも同時に感じさせるのだ。
小田和正の「化粧」
さて、小田和正と中島みゆきとの数少ない接点のひとつとして、私がまず思い出すのは、小田が毎年末におこなっているTVライブ番組「クリスマスの約束」で、「化粧」を歌ったときのことである。2002年12月のことだ。
この番組では、小田は (オフコース時代も含めて) 自らの作品も歌うが、他のさまざまなアーティストの作品を彼自身が自由に選曲して歌うのが、ひとつの「売り」のようにもなっている。
しかし、中島みゆき作品を彼が歌ったのは、今までのところ、この1回だけのことである。
このときの「化粧」という選曲は、実際に彼の歌を聴くまでは、とても意外に思えた。
初期の中島みゆきのイメージをある意味で――とりわけ、アルバム「愛していると云ってくれ」での、あの泣きながら歌う声によって――代表する作品ともいえる「化粧」は、小田の音楽性とは対極に――上記の意味での、求心性と遠心性の両極に――位置するように思えた。
実際、彼はこの曲の前のMCで、次のように語っている。
この曲は、男には絶対に書けないような詞です。
初めてこの歌を聴いた時には、本当に驚いてしまいました。
その曲に挑戦してみたいと思います。
前から僕は、陽水がやるみたいに、「あたい」とか「あんた」とかいう歌詞を
一度歌ってみたいなと思っていたので、とてもいい機会だなと…(笑)
このMCの後半で、彼は冗談めかして語ってはいるが、歌詞での一人称・二人称代名詞の選び方というのは、かなり本質的な事柄だったのではないかとも思う。
小田の (とりわけオフコース時代の) 歌詞には――「あたい」「あんた」はもちろんのこととして――男性シンガーソングライターがよく使う「俺」「おまえ」さえも、ほとんど登場しない。
その代わりにしばしば登場するのは、「私」と「あなた」である。もちろん、男性の視点から女性に向けて歌われる歌詞で、のことだ。
男性が自らを「私」と呼び、女性を「あなた」と呼ぶ――日常的・口語的表現からはかけはなれた、日本ではふつう、仕事などのオフィシャルな場面でしか使われないような――この代名詞の選び方も、恋愛というモチーフを、その内面的な意味の重さや息苦しさから解き放ち、透明で洗練された風景の中に描き出すことを可能にする条件のひとつだったのだと思う。
――小田和正が歌う「化粧」の話に戻ろう。
この記事を書くために、久しぶりに当時の録画をひっぱり出して、観なおしてみた。
この曲の魅力を再発見させてくれるような、見事な歌唱――この番組を最初に観たときのその印象が、変わることなくよみがえってきた。これが市販メディアとしてリリースされていないのは惜しい。
聴く前に感じていた意外感は覆され、彼があえてこの曲を、数ある中島みゆき作品の中から選んだことの必然性が、この上ない説得力をもって迫ってくる。
化粧なんて どうでもいいと思ってきたけれど
せめて 今夜だけでも きれいになりたい
ピアノの弾き語りともに、訥々とつぶやくような歌い出し。
ややゆっくりめのテンポと、静かなピアノの音、そして何よりも、あの彼独特の透きとおるような高音が、静謐で透明な風景の中に、この歌の世界を再現してゆく。
しかし小田和正は、この歌がもつ悲しみの意味を、透明な風景の中に雲散霧消させてしまうようなことはしない――むしろ逆である。
バカだね バカだね バカだね あたし
愛してほしいと 思ってたなんて
バカだね バカだね バカのくせに Ah…
愛してもらえるつもりでいたなんて
(映像:付き人追加)
中島みゆきが慟哭とともに歌ったこのリフレインを、彼はどこまでも透明に伸びてゆく高音によって、限りなく誠実に、心をこめぬいて歌ってゆく。
――その音楽的な結晶度の高さゆえに、この曲の悲しみは、この上なく直截にストレートに、私の胸に届く。
かつて評論家の呉智英が指摘したように、中島みゆきの愛の歌の固有性は、他者とは決して共有されえないはずの〈この私〉の絶対的な悲しみを、それでも共有可能なものとして歌いえたことにある――それはほとんど、「宗教的な衝撃」というべきものだった (この指摘に関しては、かつて同人誌のエッセイで論じたことがある)。
「化粧」は、そのような意味での中島みゆきの――とくに初期作品がもつ――固有性と衝撃力を、とりわけ代表する作品である。
小田和正が上記のMCで、「男には絶対に書けない」「本当に驚いた」と率直に語っているのも、そのゆえだろう。
私自身にとっては、「化粧」という曲は、まさにその衝撃力のゆえにこそ、ある意味で恐ろしく、近づきがたい作品でありつづけてきた――正直にいえば、アルバム「愛していると云ってくれ」に収録されている中島みゆき自身の歌を、私はこれまで――30数年ものあいだ――ほんの数回しか聴く勇気をもちえないでいるほどだ。
しかし小田和正の「化粧」は、そうした私の恐れを取り払い、中島みゆき自身とはまったく別のアプローチから、この曲の衝撃力の核心を再発見させてくれる。
それは、かつて中島みゆきとともにオフコースの音楽に浸っていたころに、私が自らを支えるために必要とした二つの力――風景への遠心力と、内面への求心力との、「幸福な再会」とでもいうべき経験だったのだと、今にして思う。
この記事も長くなってしまったので、以下は(2)につづけることにしたい。