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財津和夫in「浄るりシアター」大阪府能勢町

本日、大阪府能勢町「浄るりシアター」で開催された「財津和夫トークと歌のプレゼント」に参戦しました。


ネタバレ満載の為、他の会場で参戦予定の方、ネタバレに嫌悪感を感じる方は決して読まれないように!


財津さんがオハナシされた内容の要約を掲載させていただきます。

つたない記憶力なので、不正確さに自信あり!

正確かつ詳細な内容は諸先輩方の情報をご参考になさってください。

財津さんの今までの生涯を時系列的にお話をされました。


最初のツカミ


ここ(ステージ)から拝見すると当然、マスクのお顔なんですが残念!色々不都合があるが良い事もある。街ですれ違う女性をみるとみんな美人に見える。ボクもまだ色気づいていて「理想の想像」をしてしまう。今日も皆さん素晴らしい・・・どうぞ皆さんマスクを外さないように・・・。(場内爆笑)


子供の頃のオハナシ


ご両親と坊主頭の財津さん、愛犬「クマ」の写真が舞台正面スクリーンに映し出され・・・

全身真っ黒な毛がフサフサしていたので「クマ」と命名。

亡くなると今ではペット葬儀屋さんが対応をしてもらえるけどその当時は自分で庭に穴を掘って埋葬した。

そういう行為をすることにより深い想い出となって「クマ」の歌を作った。


小中高校当時の財津さん


小学校の遠足の写真が映し出され・・・

先生の言うことを聞かず、成績も⤵の異端児だったので先生から嫌われた。

中学生になっても同様、えこひいきの強い先生だった。

優秀な同級生と遊んでいると2人が先生に呼び出され財津君と付き合うのはやめなさい!あなたも不良になる・・・昔の先生は何を言っても許された。

ボクのココロは歪(ゆが)みに歪んで、一周して高校生では目立たない普通の子になった。

ところが高校の先生は体育系で、「ヤンチャでなければ男でない!」という考えで、弱々しいのはダメだ・・・というコトでアンラッキーな小中高を過ごした。

2人兄がおり学費を使い果たしたのでお前は大学に行かなくても良いと母親から言われた。

・・・で何もしないでブラブラ・・・日本で一番最初の「ニート」になった。

高校生では毎日、ビートルズを聴いていた。




大阪に60余年住みながら「能勢の浄瑠璃」は知りませんでした。能勢って「妙見さん」…というイメージです。


転機


パチンコ屋へ日参していた浪人中、街でばったり同級生の女の子に会い、「財津君、こんなところでなんばしょうとね?」「親がカネがないから大学いかんでもええ・・・と。」「大学にいったら何としてでもおカネを工面してくれる・・・親というのはそういうもの!」と諭され大学を受験した。

運よく大学に合格した。

運がいいと思えば段々運が良くなる。運が悪いと思えばドンドン運が悪くなる。


大学生活


ちょうど学生運動が盛んな時・・・バンドを作った。

ヘルメットにタオルで顔を覆い角材を持って走り回っている横でギターを弾いている。

同じ年代で同じ大学の学生なのに…と思いは複雑だった。

将来が全く見えないためバンドで身を立てようと思った。

第3回Yamahaライトミュージックコンテスト出場


第3回Yamahaライトミュージックコンテスト(新宿厚生年金会館)に九州代表「フォー・シンガーズ」というバンド名で出場した。

場内にその当時の演奏が流されました。






アニメを利用して若者に迎合…ということなんでしようが。ん〜(・・;)


新宿厚生年金の楽屋裏は畑がひろがっていてノンビリした所だった。どこからかバンド練習している音が・・・。「今さら練習してもしょうがないのに・・・。踏ん切りの悪い奴らだ!」聴いているとすごくウマイ!思わずバンド名を聞くと迷惑そうな顔で「赤い鳥です。」その時「オレたち2位かも知れない。」

そうこうしてると別の方からまた違うバンドの音が・・・。

小田さんのモノマネの声で・・・「オフコースです。」場内大爆笑!

注:当時のバンド名「ジ・オフコース」

あわてて楽屋に戻りバンドのメンバーに「オレたち2位か3位かも知れないけどがんばろうな!」

・・・結果6位だった。

2位だったオフコースの当時の音源を流します・・・最高ですよ!

(YouTubeの開始から3分03秒後の「One Boy」が会場に流れました)



後で聞いたハナシで関東甲信越等はバンドの層が厚いため東北代表の方が全国大会に行きやすいと思ったとのこと。そんなことしなくても充分に出れたと思った。

この音源は出演者に記念品としてレコード盤を配布された。

 

コンテストの1位は・・・



グループのアンサンブルが見事!

最近、気付いたがオフコースの「チカラ」の抜き方が最高!

我々のバンドや赤い鳥は「チカラ」が入っている。

福岡に戻り毎日オフコースを聴いて「ちくしょ~!こんなバンドになるぞ!」と決意しTULIPを結成し東京を目指した。

オリジナルを作っていたが当時はオリジナルよりも技巧的にウマイのが要求される時代だった。




指定席は完売で当日立見券が販売されていました。

レコードデビュー


「魔法の黄色い靴」のデモテープを東京溜池の東芝EMIに持ち込んだ。新田(和長)さんが「やろう!」というこでハナシがトントン拍子に。

全く売れず、次の「一人の部屋」も・・・

「魔法の黄色い靴」・・・歌詞だけ見ると・・・なにコレ?だから何なの?これじゃ売れない!

「一人の部屋」・・・これじゃいけないというコトで肌で感じる男と女の「イイ感じ」の作品を・・・

つまらない

つまらない

一人の部屋の中は

もう本当につまらない・・・

つまらないしか言っていない・・・これでは売れません。


「心の旅」リリース


もう売れないから博多へ戻ろうか・・・と思いながら最後のチャンスに自分の体験を書いてみようということで福岡から東京へ出て行く時の自分の気持ちを書いてみようということで「心の旅」を作り歌おうとしたところレコーディング当日、スタッフが「これは姫野に歌わせよう。」「えっ?冗談でしょ?自分の体験を歌ったんだから・・・」

当時、姫野君はリードボーカルを歌ったことも無く歌いたいとも思っていなかった・・・今は違うよ~ですが・・・(場内大爆笑)


トイレチェック:手入れが行き届いていました。


「心の旅」がドンドン売れて行って、売れて欲しい・・・けどボクではなく姫野君が歌ってるので売れて欲しくない・・・心の葛藤が有りました。




キレイなトイレはホールも良い.この持論が実証されました。


これで福岡に戻らなくていい!念願の全国ツアーが出来る!嬉しかったですね~。

今日のオハナシはここまで。

この続きは次回に!(場内爆笑)




ステージは左側でトーク、右で電気ピアノでの弾き語り…というスタイルでした。


歌のコーナー


サボテンの花(バラード風にピアノ弾き語り)

心の旅(カラオケで)

の2曲でした。

場内の手拍子が完全に一致して少人数ながら非常に大きく聞こえました。


質問コーナー


付き人も手を挙げましたが残念ながら・・・。

質問された方のほとんどは、舞い上がってしまい長時間グダグダと支離滅裂な内容の持論を述べられ結局訳の分からない質問コーナーで終わってしまい非常に残念でした。

財津さんはジッと我慢してお聴きになられてましたが、最後には質問を1つにしてください・・・と気持ちを抑えながらおっしゃってました。

財津さんにナマでしか聞けない本質的な質問をしていただきたかったです。

次回からは、事前に質問を提出し、それに対し財津さんが答えられる・・・そういう方式にしていただきたいです。

財津さんのその他のご発言


プレーヤーもお客さんも一生懸命やっている。その姿が非常に感動的に思える。

コンサートってその場所にいる・・・という事を確認するために来られているんじゃないか?

ボクたちもお客さんと向かい合う事で何かを期待している。

今までは完璧な演奏をしてお客さんに喜んでいただこうと思っていたが考え方が変わった。




終演後…街灯のところ以外は真っ暗。ここが大阪…とは思えないくらいの田舎の夜。


先日のNHKの放送後、多くの感想をいただいた。

「音楽活動を止めるんですってね。」

誤解を生むよ~なNHKの編集になってた。

1年半から2年もかけて制作しそれを「お涙ちょうだい」にしてしまって・・・。

TULIPの歌ってほとんど20代で作ったので、それを70代になっても歌え・・・というのは無理があるハナシで・・・。

ツアーはやらないけど違うカタチで音楽活動はやるつもりだ。(場内割れんばかりの拍手!)

あの番組(の話題)はもう終わりです。

(小田さんの「さよなら」をマネをして)

もう~

おわりだね~♬(場内大爆笑)


さいごに


記憶力の乏しい付き人なのでライブだったら手拍子して飛び跳ねていたら記憶はすっかり無くなってしまいますが今回はジッと着席してのトーク中心だったので何とか断片的記憶が・・・。

ただし詳細は自信が無いので、拡散させること無くこの場限りでのオハナシにしておいてください。

不正確な情報が出回るとえらいことになりますので・・・。

詳細は正確な諸先輩方の情報をご確認願います。
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