1989年2月26日(日)21時02分、東京都文京区の東京ドームで開催された
OFF COURSE The Night with Us 2.26 at TOKYO DOME
「いつもいつも」が歌い終わった以後、オフコースは二度とバンドとして演奏することは有りませんでした。
32年前の今日のできごと・・・それはリアルタイムで経験することが無かった付き人の脳内の妄想で感じたことを述べていきます。
先ず疑問に思ったのが、なぜライブ音源、ビデオが発売されなかったのか?
思うに表現は悪いですが・・・世間では「冷めていた」・・・のではないでしょうか?
当然、ファンの方々、そしてコンサート会場は盛り上がっていたでしょうが・・・。
通常、解散、引退の時は、ビデオ等が発売されてしかるべきですが、㈱ワニブックスから写真集が発売されたものの、大々的な「解散セール」は無かったと勝手に妄想しています。
そもそも、4人のオフコースの解散は1988年11月10日頃に配達されたベージュの封筒に入った親展扱いのオフコースカンパニーからのお知らせでした。正確には11月9日にはわかっていたみたいですが・・・。
当時のファンの方の投稿を拝見しても、その頃の様子が手に取るようにわかります。
「事前に知らされていたけど、開封するのが怖かった・・・。」
封筒の中身は・・・
「オフコースは現在のツアーをもって解散することになりました。・・・」
非常に事務的な感じですね。
そもそもOFF COURSE The Night with Us 2.26 at TOKYO DOMEが「解散コンサート」と銘打つことなく、通常のコンサートという感じで開催されたよ~です。
当時、小田さんはこうおっしゃっていらっしゃいます。
「僕にとっては卒業していくんだ、という感じだね。
今、この年になってねソロ始めようっていうことになったのも、遅かれ早かれそういう時期がくるだろうと思ったからなんだよね。
僕はそういうバンドだと思ったからね。
早すぎるって言う人もいるみたいだけど、もし本当に20年間見てきた人がいるとしたら、”早すぎる”なんて絶対言わないと思うよ。」
まず驚くのは、今、よく言われる「卒業」という言葉を小田さんは32年前にすでに使われていることです。
オハナシの内容は、小田さんらしく冷静に分析されておられ、これからのバンドからソロ活動へ期待を込めたご発言であると感じました。小田さんがここでおっしゃる「そういうバンド」とは「5人のオフコース」ではなく「4人のオフコース」を指している・・・と勝手に解釈しています。「5人のオフコース」なら永遠に続いて欲しかったのではないでしょうか。
清水さん、大間さん、松尾さんも、当時、既にソロ活動を始められており、バンドの解散の哀愁とともに新たなスタートのワクワク感が入り混じった雰囲気ではなかったか・・・と察します。
4人とも現在も第一線のミュージシャンとしてご活躍されており、ファンにとってもうれしい限りです。
現在、その3人の方はABC(Acoustic Beatles Club)というバンドで演奏されることもあります。
ABCのライブを拝見したことがありますが、会場のロビーにはオフコースのパネルが多数展示され、表現が悪いですが・・・チョッと「オフコースを引きずっている・・・」って感じがしました。仕方のないことでしょうが・・・。
32年前の今日2月26日・・・オフコースの4人、そしてファンにとっても過去との決別と同時に新たなスタートであったわけです。
その日の東京は、彼らの門出を祝福するよ~に晴天だったらしいです。
そういった意味でも今後も同様に、4人の方々の活動にエールをお送りしたいと思います。
モチロン、ひと足先に卒業されたYASSさんにも・・・。
以上、2月26日を迎えての、付き人の独断と偏見と妄想によるオハナシ・・・でした。
参考文献
・1989・2・26 OFF COURSE FINAL ㈱ワニブックス刊
・Off Course Book No.21、No.22 ㈱オフコースカンパニー刊
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