明日、1月15日(土)付き人は、かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホールで開催される「鈴木康博 LIVE2022 ~おかげさまで50年+2」に参戦いたします。
奇しくも、その前日には我らがスターダスト☆レビューの40周年ライブツアー「年中模索」 ~しばらくは、コール&ノーレスポンスで~が開催されました。何かの縁ですね←それはないなぁ~。
例により一夜漬け事前勉強をいたします。
ご参加される方はご参考になさってください。
1970年オフコースデビュー50周年記念ライブ
1970年デビュー(この時の表記は「ジ・オフ・コース」)以来走り続けて50年!
鈴木康博が今まで応援してくれたファン、共に歩んでくれたミュージシャン、
皆さんに感謝の気持ちを込めて1日限りの思い切り楽しめるライブを開催します。
ご期待ください!!
【アーティスト】
鈴木康博
【ゲスト出演者(予定)】
杉田二郎、白鳥英美子、松尾一彦(元オフコース)、岡崎倫典、榊原大(ピアニスト)、他
トークゲスト:林家木久蔵
【BAND】
細井 豊、瀬川信二、奥沢明雄、関慶和
≪日時≫
2022年1月15日(土) [開場]15:45 [開演]16:30
≪会場≫
かつしかシンフォニーヒルズ モーツァルトホール
≪チケット料金≫
全席指定 7,500円(税込)
シンフォニークラブ会員 7,000円(税込)
※3歳以上有料
※バルコニー席は公演の見づらい場合、聞きづらい場合がございます。
あらかじめご了承の上お買い求めください。
≪お問合せ・チケット予約≫
かつしかシンフォニーヒルズ 03-5670-2233 http://www.k-mil.gr.jp
かめありリリオホール 03-5680-3333
≪その他プレイガイド≫
キョードー東京 0570-550-799 https://kyodotokyo.com
チケットぴあ (Pコード 200-708) 0570-02-9999 https://t.pia.jp/
ローソンチケット (Lコード 71806) https://l-tike.com/
e+(イープラス) https://eplus.jp/
CNプレイガイド 0570-08-9999
セブンチケット http://7ticket.jp/
≪チケット発売≫
2021年9月17日(金)
ゲストの方の略歴をウィキペディア(Wikipedia)等で見てみましょう。知っているよ~で知らないことも?
出演者の方々を事前に知ることでより一層楽しいライブ鑑賞になることでしょう。
杉田二郎さん
京都府京都市出身。立命館高等学校を経て、1969年立命館大学文学部日本文学科卒業。実家は京都の金光教島原教会で、現在金光教島原教会副教会長。金光教関係での音楽活動も行っている。
1967年、アマチュアバンド「ジローズ(第1次)」(メンバーは杉田二郎(リーダー)、塩見大治郎、細原徹次郎)を結成。
1968年、ラジオ『ヤングタウン』の「今月の歌」に取り上げられたオリジナル曲『あなただけに』が好評を博し、ラジオ放送用のテープが東芝音楽工業からシングルレコードとして8月1日、発売される。同年8月9日 – 11日、京都・山崎「宝寺(宝積寺)」で開催された第3回関西フォークキャンプに参加。『あなただけに』を後にはしだのりひことシューベルツでともに活動する越智友嗣(おちゆうじ)と披露した。
その2ヵ月後に第1次ジローズは解散。その後、ザ・フォーク・クルセダーズの解散を控えた北山修から「京都のフォークのエネルギーを絶やしたくない」と、はしだのりひこ(端田宣彦)の新しいバンドへの加入を要請され、ザ・ヴァニティーで活動していた越智と井上博を加え、「はしだのりひことシューベルツ」を結成、リードギターとボーカルを担当。1970年には森下次郎とともに「ジローズ(第2次)」を結成し、『戦争を知らない子供たち』が大ヒットした。
1972年からはソロ活動を開始。ソロ作品のヒット曲には『男どうし』、『ANAK (息子)』(1978年)などがある。2002年には、元ふきのとうの細坪基佳と「座・ジローズ」を新結成した。[1]
また、北山修の歌詞を非常に気に入っており、自らのターニング・ポイントでは事あるごとに北山に作詞を頼んだという(2010年3月8日の『きたやまおさむのレクチャー&ミュージック』より)。なお、歌手活動再開時に北山に依頼した『男どうし』では曲終盤のカウントと手拍子を北山が担当している。
オフコースは、下積み時代に彼のバックバンドを務めていた。
2014年、堀内孝雄・ばんばひろふみ・高山厳・因幡晃とブラザーズ5を結成。
白鳥英美子さん
日本音楽高等学校を卒業後、1960年代中期に渡辺プロダクションに入りスクールメイツで活動していた。その頃に松竹映画『ドリフターズですよ!前進前進また前進』や、植木等主演映画『日本一の男の中の男』に平山三紀と出演している。
1969年に芥川澄夫とコンビを組んでトワ・エ・モワを結成し、数多くのヒット曲を世に送り出した。紅白歌合戦にも2回出場した。
トワ・エ・モワを1973年に解散した後に音楽から離れていた時期もあったが、当時ジャッキー吉川とブルー・コメッツのベーシストだった白鳥健二(=白鳥澄夫)と結婚、鴉鷺(あろ)というユニットを結成して音楽活動に復帰後、ソロ歌手に転向して現在に至っている。「鴉鷺」としては『マリンスノーの伝説』の主題歌を歌った。
1986年にデビアスダイアモンドのCMソングとして「AMAZING GRACE」がオンエア開始された。レコード化の要望が殺到したものの、白鳥がレコード化を拒み続けたためなかなか実現しなかった。しかしCMディレクターの秋田新一郎の説得により最終的には承諾、1987年にレコード化されヒット[1]。
1990年4月から1992年3月まで放送されたアニメ『楽しいムーミン一家』には、第一期のOP曲「夢の世界へ」、第二期までのED曲、列びに挿入歌を提供し、第一期のナレーションも担当した。
また長野オリンピックを契機に、トワ・エ・モア時代の楽曲『虹と雪のバラード』が再注目されたことで、長野オリンピックの前年の1997年にトワ・エ・モアを再結成。テレビ出演なども機会も増えることになる。
2000年にはプレイステーションのゲームソフト『ファイナルファンタジーIX』の主題歌「Melodies of Life」を担当し、ヒットを記録した。
フォークのほか、クラシック、ジャズ、ポップス、叙情歌、童謡、アニメソングなど幅広いジャンルの作品を取り上げている。
松尾一彦さん
1954年8月7日、秋田県山本郡八森町(現:八峰町)生まれ。能代高校進学。
高校3年生の時に大間ジローと出会い、大間らとともにロックバンド“ドナルドダック”を結成、3月末に東京で行われたロック・コンテストに出場、わずかな練習期間でコンサート当日を迎えたものの、2位に入賞。プロダクションからの誘いはなかったものの、主催者だったキャロルの事務所を連絡先として活動を開始する。1973年夏、キャロルの事務所から独立したスタッフが設立したプロダクション“アーサー・プロモーション”と契約、バンド名を“ザ・ジャネット”と改名し、芸名を「松尾ジュン」とする。
ザ・ジャネットは日本テレビの勝ち抜きバンド合戦『ザ・チャレンジ』に出場。優勝しレコード・デビューが決まる。ディレクターは後にオフコースのプロデュースを手がける武藤敏史。1974年3月21日、シングル「美しい季節」でデビュー。以後シングルを4枚、アルバムを1枚リリースするが、商業的成功を収めることなく1975年12月解散。ジャネット解散後は武藤の紹介で東芝EMIの配送センターでアルバイトを始める。
オフコースの小田和正・鈴木康博の二人と一緒に出来る人間を探していた武藤から、アルバム『SONG IS LOVE』のレコーディングに誘われる。そのままコンサート活動にも参加。1979年8月1日正式メンバーになる。また、オフコース在籍中から岩崎宏美「胸さわぎ」を手始めに作家活動も開始、稲垣潤一のデビュー曲「雨のリグレット」、柏原芳恵「夏模様」など、多数の楽曲を歌手・アーティストに提供した(詳細は楽曲提供の項参照)。
オフコース解散後の1990年、 吉田拓郎のアルバム制作およびコンサート・ツアーに清水仁と共に参加。ツアーには1992年まで、レコーディングには1996年までそれぞれ参加。1992年ソロ活動再開。1994年、ボーカリスト福田康子とユニット“Everything She Wants”を結成、シングル2枚、アルバム1枚をリリース。同時期、斉藤和義のアルバムにてプロデュースを担当、編曲およびレコーディングのほか、ライブでのバッキングにも参加する。1997年、コルツのレコーディングにアドバイザリープロデューサー、編曲で参加。コンサートツアーにも演奏で参加。
1999年3月、オフコースの元メンバー、清水、大間とともに“Acoustic Beatles Club(A.B.C)”を結成。オリジナル曲のほか、ビートルズのカヴァー曲を交えながら演奏活動を行う。
2004年11月、A.B.Cと並行して森川由加里・土屋剛とサウンド・ユニット“THE UNIT”を結成、ライブ活動のほか、シングルおよびアルバムをリリース。
2010年10月20日、ミニ・アルバム『せつなくて』をリリース。小田にとってオフコース解散後初の、元メンバーとのコラボレーションとしてピアノ&ピアノ・アレンジでタイトル曲に参加。また、カップリング曲の「哀しき街」には清水がコーラスで参加。
2011年1月、鈴木のラジオ番組「メインストリートをつっ走れ!」にゲスト出演。全盛期の元メンバー全員とのコラボレーション・共演をオフコース解散以降、最初に果たした(過去にA.B.Cと鈴木のコラボレーションはあったが、鈴木の出演は松尾の急病によるもの。松尾は共演していなかった)。
2015年3月18日、オフコースからソロまでのライブ映像、新作ミュージックビデオの他、オフコースメンバー全員のインタビューも収録したDVD『“I’ll see you when I see you” Kazuhiko Matsuo Choronicle』発売。
岡崎倫典さん
私立修道中学校進学。
私立修道高等学校進学。広島フォーク村に入門する。
21歳よりプロのギタリストとしての活動を始める。杉田二郎、鈴木康博、森山良子、谷山浩子、尾崎豊、沢田聖子、ふきのとう、沢田知可子などのレコーディングやコンサート・ツアーに参加する。
アコースティック・ギターによるインストゥルメンタルの作曲を開始する。以降、約10年間にジャンルを超えた独自のギター・サウンドを確立する。
ソロ・コンサートを各地で開催する。ギタースクール「Acoustic Avenue」を開設。
6月、初のオリジナルアルバム『Bayside Resort』をリリース。同時に楽譜集も出版。
5月、写真家の佐藤秀明と協同によるビデオ写真集『地球印象派』を発売する。
6月、2nd アルバム『夢で逢いましょう』ポニーキャニオンより発売。『Bayside Resort』再リリース。10月、フジテレビ系テレビドラマ『若者のすべて』の音楽を担当する。 11月、サウンドトラックアルバム『若者のすべて』をリリース。
4月、FM仙台『CAR-MONY SQUARE CONCERT』を開始する。 8月、4thオリジナルアルバム『marble』をリリース。 10月、東芝日曜劇場「『輝け隣太郎』の音楽をギターソロで担当する。 11月、5thクリスマスアルバム『Acoustic Eve』をリリース。
7月、6th アルバム『Kamakura FM82.8』をリリース。12月、北海道富良野市にある新富良野プリンスホテルのウェディング・チャペルを会場とした「新富良野プリンスホテルチャペルコンサート(富良野チャペルコンサート)」を立ち上げ、初のロングライブ(96年12月~97年3月)、合計70回のステージを敢行する。崎谷健次郎をはじめとして多くのゲストを迎えて、10年以上継続して開催されるコンサートに成長した。
9月、マンスリーライブ『アコギナイト』をスタートさせる。 11月、NHK『トゥトゥアンサンブル』に出演する。 12月、新富良野プリンスホテルにて、チャペルコンサートVol.2(97年12月~98年3月)、合計75回のステージを敢行。 台湾でアルバムをリリースした。
5月、岡崎倫典アコースティックセミナーを開校。日本テレビ系『遠くへ行きたい』の音楽をプロデュースする。 6月、テレビコマーシャルソング『SEIKO』「クレドール」の作曲・編曲・演奏を担当する。11月、写真家・前田真三と協同によるアルバム『富良野』をリリース。12月、翌年3月にわたって富良野・新富良野プリンスホテルにてチャペルコンサートVol.3、合計78回のステージを敢行。香港台湾でアルバムをリリース。
榊原大さん
(さかきばら だい、1967年7月16日 – )は、日本のピアニスト、作曲家、編曲家、音楽プロデューサー。千葉県千葉市出身。東京藝術大学音楽学部器楽科ピアノ専攻卒業。
東京芸術大学音楽学部附属音楽高等学校在学中に落合徹也と出会い、芸大在学中にポップス・インストゥルメンタルバンド・G-クレフを結成。1990年12月、インストゥルメンタルのグループとしては初めてNHK紅白歌合戦に出場するなど活躍する。
1995年にグループ解散後は、ソロ活動の他、アーティストのプロデュース&サポートや映像音楽などに携わる。
藝大での同輩でもある葉加瀬太郎のライブ出演、また2005年度上半期のNHK連続テレビ小説「ファイト」の音楽を担当する。
林家木久蔵さん
東京の落語家の名跡。当代は2代目。由来は、初代木久蔵の「桂木久男」時代の師である三代目桂三木助の木、長く久しいの久、師匠・八代目正蔵の蔵から取ったもの。
- 林家木久蔵 (初代) – 元は桂木久男、現在の林家木久扇。木久ちゃんと呼ばれる木久蔵はこちらを指す。⇒ 林家木久扇
- 林家木久蔵 (2代目) – 元は林家きくお。初代の実子で弟子。
バンドメンバー
細井豊さん
1954年4月2日 -生まれ ミュージシャン(キーボーディスト)。ロックバンドであるセンチメンタル・シティ・ロマンスのメンバー。ボーカル、キーボード、ハモニカを担当。通称「ユタさん」。出身地は愛知県知多市。センチメンタル・シティ・ロマンスの活動以外にも様々なアーティストへのライブサポート、レコーディングをつとめる。
奥沢明雄さん
(ご自身のHPより引用)
4才より7年間クラシック・ピアノを習った後、11才で同級生の兄が所有していたガット・ギターに初めて触れる。
自分の意志で最初に買ったレコードは ザ・タイガースの「君だけに愛を」・・・典型的なGS少年。
中学入学後、8,000円のガット・ギターを入手。
いわゆる当時の和製フォーク+テケテケ・サウンドという無節操なバンドを結成、文化祭などで引っ張りだこに・・・これが勘違いの始まり。
15才の頃、ドノヴァンの存在を知り衝撃を受けると同時にニュー・ロック、アート・ロックの世界にも足を踏み入れ、高校時代はアコギの弾き語りとハードロック・バンドに明け暮れる。
ドック・ワトソンとグランド・ファンク、バート・ヤンシュとイエス、何でもありの音楽漬け時代。
ドノヴァンは、今だに音楽的な心の支え。
大学在学中より某社G・マガジンの立ち上げに参加する他、音楽雑誌のライター(ペンネーム/青井カンザブロー)、ヤマハ系ギター教室でのインストラクターとして活動する傍ら、ブルーグラスやロック・バンドのギタリスト、ボーカリストとして都内のライブ・ハウス等で演奏を続ける。
85年にはブルーグラス・バンド『茶々丸』のメンバー(コーラス / ベース)としてアメリカをサーキット。
各地のライブ・ハウス、ブルーグラス・フェスティバルで好評を博す。
この頃、プレイに専念するためライター活動を停止。その後カルメン・マキ&モーゼス、マーク・ベノ、ピーター・ローワン、サンディー・ロスマン(ジェリー・ガルシア・バンド)、小坂忠、佐藤博、鈴木康博(オフコース)、山木康世(ふきのとう)、小坂一也、加橋かつみ(ザ・タイガース)、宮前ユキ、西岡たかし、南正人、金延幸子、岡崎倫典、高橋忠史、相馬裕子、中村由利子、冷泉公裕(冷泉風)、有里知花・・・他様々なアーティストのサポート、レコーディングを続けながらブルーグラス・セッション・バンド『ミュール・プロジェクト』のCD作成、佐藤奈々子と共にマニピュレイター、DJ、VJを擁するフリーな音楽集団『ポエティック・フィジカル・ドメイン』の立ち上げ、アメリカン・ミュージックを幅広くカバーするアコースティック・ギター・トリオ『テキーラ・サーキット』等を経て、現在は自身の率いるロック・バンド “The Marmalade Sky” に軸足を置いて活動中。
瀬川信二さん
(せがわ しんじ、1975年6月13日 – )は、北海道出身の日本のミュージシャン、ベーシスト、歌手、コヤブボード、スティック奏者。ベーシストの子安文は妻。一児の父である。札幌南陵高等学校、札幌大学卒業
ベース、スティック、自身で開発にも関わるタッピング楽器、グランド・ボードの講師、センチメンタル・シティ・ロマンスでベースとコーラスを担当。ファンド・フレット・システムを採用したDingWallのベースを愛用している。 音楽活動の傍ら、横浜朝日カルチャー・センターで、ルーツ音楽に関する再定義を提案する講義や、自身のベース・スクールでの後進の育成にも積極的に行っている。リットー・ミュージックのベース・マガジンで、特集記事、インタビュー等も多数手がけている。アウトロー・カントリーのフォロワーとしても活動中。
関慶和さん
(くろねこ音楽教室講師紹介より引用)
17歳でドラムに目覚める。
22歳でプロデビュー。
chara 、藤井尚之、安室奈美恵、キロロ、森川美穂、近藤真彦、堂本剛、嵐、小柳ゆき、菊田俊介、w-inds、ikura&funkee style.…他 多数のアーティストのサポートで現在も活躍中!
また、自身のユニットturn aroundでも精力的に活動中。
近年は後進の指導にも積極的に取り組んでいる。
オフコースの駆け出しの頃の事務所の社長だった杉田二郎さんやオフコースの元メンバー松尾一彦さんもご出演され当時のオハナシもお伺いすることができることでしょう。
当ブログでは現地レポを敢行いたします。
どうぞお楽しみにっ!←アンタ、先日のエレファントカシマシのレポも掲載してへんのに!←えっ!? (・。・;
ジャンルの異なる音楽に接することにより、新たな発見があるかも知れません。←ホンマかいな!?
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